2011年9月28日水曜日

ハッピーラフトのキャニオニング


夏の終わりの週末に、
キャニオニングに出かけた。 

場所は、
四国三郎“吉野川”。 

(ちなみに、
太郎は“利根川”坂東太郎 
次郎は“筑後川”筑紫次郎
だそう。)


今回お世話になったのは、 
オーストラリア人がオーナーの
到着して、受付して、水着&ウェットに着替えて、 
車に乗り込んで、さぁ出発!!なのだが、、、


・・・ちゃらい。。


いかんせん、ノリがちゃらい。軽い。



まぁ、こういうレジャーツアーは、 
ノリノリでテンション上げてかないと
楽しくないわけで、 

初対面同士がさっさと打ち解けるためにも 
ガイドさんは異常なテンションで
盛り上げるしかないわけで。

分かり易く言うと、合コン、のノリ。


自己紹介も、 
「××でーす。好きな食べ物は、からあげでーす☆」
みたいな。

こんなきゃぴノリはあまりに久しぶりだったので、
軽い不意打ちをくらった。 
まぁ、何はともあれ楽しかった。

滝つぼ落ちに始まり、 
天然ウォータースライダー
ロープスライダー、
40m下降、、、 



いちいち度胸試しのようなポイントばかりで、 
いわば天然地形を利用した本格派アスレチック。

久しぶりに自然と戯れて、
童心に帰って、むじゃきにはしゃいだ。

とはいえ、
30過ぎて、わーきゃー言い過ぎてる姿は、
ちょっとみっともないかな 
と内省する自分もいたりして。

でも。

声を出して笑ったり叫んだりすると、
ストレス一気に吹き飛ぶし
楽しい気持ちもさらに増幅する気がする。

楽しさは、頻度より濃度の方が大切だ。

楽しい時間を共有してくれた、 
ハッピーラフトガイドの
メザさん&晋ちゃん、ありがとう☆

2011年9月19日月曜日

90年の命

敬老の日であります。

今年はおばあちゃんの家に、
お母さんと二人で遊びに行って、
お泊まり女子会を開催した。

おはぎを手作りしたり、
マッサージをしてあげたり、
昔のラブロマンスを聞かせてもらったり。

おばあちゃんは90歳だけれど
一人暮らしをしていて、
寝たきりにもならず、認知症にもならず、
尿漏れパッドのお世話にもならず、
身の回りのことは全て自分でこなしている。

ご近所の人が
夕飯のお裾分けを持って来て下さったり、
ゴミ出しを手伝って下さったり、
すごく暖かいコミュニティの中で暮らしている。
田舎って、すばらしい。

「赤の他人が、こんなおばあさんに親切にしてくれるなんて、
感謝せんといけん」
と口癖のように言っているが、
おばあちゃんのお人柄の良さと人徳の賜物だとも思う。

おばあちゃんは、
一日一日をきちんと暮らしている。

朝起きて、服を着替えて、髪を整えて。
食事をして、家事をして、
新聞を読んで、TVを見て、
お風呂に入って、きちんと戸締まりをして
消灯を確かめてから、ゆっくり休む。

家の中を歩くとき、転ばないように、
つまづきそうなコードはきちんと片付けて、
ゆっくりゆっくり気をつけて、
痛む腰や膝をかばいながら、それでも自分の力で動く。
人のお世話にならないように、
人に迷惑かけないように、
毎日心がけながら生きている。

私はおばあちゃんが、大好きだ。



今回はお泊まりで時間がたっぷりあったので
たくさんたくさん、話をした。

昔の冷蔵庫は氷で冷やしていたとか、
初めて見たテレビは縦長だったとか、
アイロンは炭を乗せる火乗せだったから
初めて電気アイロンを使った時は便利さに感動したとか。

お風呂は薪を燃やして沸かさないとお湯なんて出なかったとか、
醤油はカメに入っていたが、ビン入りが出回るようになって
すごく便利になったとか、
お味噌は手作りが当たり前だったとか。

流行っていた髪型(テツカブト)はどんなだったか、
おじいちゃんとは写真で結婚式したとか、
敗戦後北京から帰国する時どれだけ恐ろしかったか、
などなど

生きた昭和の話を聞いた。


今とは違う世界。
でも、今に続く世界。

今では当たり前になっていることが、
昔はすごくありがたがられたことで、
私たちはいつの間にか、便利さのありがたみを
忘れてしまっている。

90年も生きたおばあちゃんの目には、
時代の移り変わりと、
昔の良さと今の良さと、
そのすべてが映っている。

昔は良かったと思えることと、
今は良い時代になったと思えること。

その両方が存在していて、
1世紀近くも生きるということの重みを感じる。

「私の人生は何だったんだろう?」
と、おばあちゃんは言っていた。
「子育ててバタバタしていた頃が、
一番幸せだったかもしれない」とも。

私はそのとき、どんなふうに思うのだろうか。
きっと同じように、
「私の人生って何だったんだろう?」
と思いそうな気がする。

でもそれで良いと思う。
意味なんてなくても、自分の人生のすべてを受け入れて、
生まれて来て良かったと思って、
次世代にバトンタッチしたい。


やがてくる人生の終焉を、心穏やかに待ちながら、
おばあちゃんは今日もきちんと生活している。



2011年9月4日日曜日

ロングバケーション


真夏に8週間の休暇を頂いた。 

自分の好きなことを好きなだけできる、自由な時間。 
人生において、これほど贅沢な贈り物はないと思う。

好きなことだけをして過ごし、 
今まで後回しにしていたことに手をつけ、 
たっぷりと物思いに耽り、 
それでもなお、余りある時間。

どう使うか。 
どう使おうか。 
どう使えるか。

いざとなると、これが結構難しくて、 
ゆっくり気ままにごろごろと過ごしていたのは初めの1週間くらいで、 
そこから後は、残りをどう使うかスケジューリングして、 
したいことをリストアップして、一つずつ潰していって、と 
まるで仕事のような仕切り方をしてしまった。笑

旅行も行きたいし、 
掃除・片付け・断捨離もしたいし、 
病院・美容院・歯医者も行きたいし、 
東京にも遊びに行きたいし、 
キャンプしたいし、海行きたいし、花火も見たいし、 
本も読みたい。

でもどれも普段の生活で週末や空いた時間にやってることだし、 
特別にやりたいことって大してないんだな、と気付く。 

せっかくのお休みなんだから、もっと特別なことに使わなきゃ 
と焦るのだけど、特別なことって何?とさっぱり分からないし。

で結局何をしたかって、 
日が昇れば起きて、日が沈むと寝て、 
掃除して洗濯して料理して、という生活の基本をひたすら繰り返す 
シンプルな暮らし。 

ああ、人間ってこんなもんなんだ。 
と妙にさっぱりした気持ちになった。

この基本の上に、自分が必要とすることだけ、 
自分の好きな優先順位で、乗せていった。

インプットの欲求、安らぎの欲求、ワクワクの欲求、 
役に立ちたい欲求、必要とされたい欲求、 
愛されたい欲求、繋がりたい欲求、、、 

これらを満たしてくれる営みに時間を使って、 
特別なことなんて何もしなかった。 
ただ欲求に忠実に、やりたいことだけやってみた。

家族との時間を作って、友達に会って、 
沢山本を読んで、旅に出て、歴史に触れて、自然に触れて、 
美味しいものを食べて、美しいものを見て、美しい音楽を聞いて、 
スポーツに興奮して、楽しい会話で盛り上がって、 
楽しい時間を大好きな人と共有する。


そんなフツーのことが、十分幸せだった。


こんな贅沢な時間をくれた会社に感謝。

エネルギーチャージできたので、
ぼちぼちブログも更新していこう。