2011年9月19日月曜日

90年の命

敬老の日であります。

今年はおばあちゃんの家に、
お母さんと二人で遊びに行って、
お泊まり女子会を開催した。

おはぎを手作りしたり、
マッサージをしてあげたり、
昔のラブロマンスを聞かせてもらったり。

おばあちゃんは90歳だけれど
一人暮らしをしていて、
寝たきりにもならず、認知症にもならず、
尿漏れパッドのお世話にもならず、
身の回りのことは全て自分でこなしている。

ご近所の人が
夕飯のお裾分けを持って来て下さったり、
ゴミ出しを手伝って下さったり、
すごく暖かいコミュニティの中で暮らしている。
田舎って、すばらしい。

「赤の他人が、こんなおばあさんに親切にしてくれるなんて、
感謝せんといけん」
と口癖のように言っているが、
おばあちゃんのお人柄の良さと人徳の賜物だとも思う。

おばあちゃんは、
一日一日をきちんと暮らしている。

朝起きて、服を着替えて、髪を整えて。
食事をして、家事をして、
新聞を読んで、TVを見て、
お風呂に入って、きちんと戸締まりをして
消灯を確かめてから、ゆっくり休む。

家の中を歩くとき、転ばないように、
つまづきそうなコードはきちんと片付けて、
ゆっくりゆっくり気をつけて、
痛む腰や膝をかばいながら、それでも自分の力で動く。
人のお世話にならないように、
人に迷惑かけないように、
毎日心がけながら生きている。

私はおばあちゃんが、大好きだ。



今回はお泊まりで時間がたっぷりあったので
たくさんたくさん、話をした。

昔の冷蔵庫は氷で冷やしていたとか、
初めて見たテレビは縦長だったとか、
アイロンは炭を乗せる火乗せだったから
初めて電気アイロンを使った時は便利さに感動したとか。

お風呂は薪を燃やして沸かさないとお湯なんて出なかったとか、
醤油はカメに入っていたが、ビン入りが出回るようになって
すごく便利になったとか、
お味噌は手作りが当たり前だったとか。

流行っていた髪型(テツカブト)はどんなだったか、
おじいちゃんとは写真で結婚式したとか、
敗戦後北京から帰国する時どれだけ恐ろしかったか、
などなど

生きた昭和の話を聞いた。


今とは違う世界。
でも、今に続く世界。

今では当たり前になっていることが、
昔はすごくありがたがられたことで、
私たちはいつの間にか、便利さのありがたみを
忘れてしまっている。

90年も生きたおばあちゃんの目には、
時代の移り変わりと、
昔の良さと今の良さと、
そのすべてが映っている。

昔は良かったと思えることと、
今は良い時代になったと思えること。

その両方が存在していて、
1世紀近くも生きるということの重みを感じる。

「私の人生は何だったんだろう?」
と、おばあちゃんは言っていた。
「子育ててバタバタしていた頃が、
一番幸せだったかもしれない」とも。

私はそのとき、どんなふうに思うのだろうか。
きっと同じように、
「私の人生って何だったんだろう?」
と思いそうな気がする。

でもそれで良いと思う。
意味なんてなくても、自分の人生のすべてを受け入れて、
生まれて来て良かったと思って、
次世代にバトンタッチしたい。


やがてくる人生の終焉を、心穏やかに待ちながら、
おばあちゃんは今日もきちんと生活している。



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