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2012年10月23日火曜日

ぼーーーっと。

子どもが5ヶ月を過ぎたので、
そろそろ規則正しい生活リズムを作ろうかと、
朝昼のお昼寝時間を決めた。

決めた時間にベッドに寝かせておく。
寝ても寝なくても、そのまま置いておく。
泣いたら、数分置きに様子見に行くけど、
そのまま置いておく。
(これには、ちゃんとしたねんねトレーニングが
必要なんだけど、その話はまたの機会に)

そうすると、朝1時間、昼2時間
決まった時間に自分の時間ができる。
それが、思った以上に、いい。

ごはんゆっくり食べたり、
PCに向かったり。
でも、一番のお気に入りは
お茶を飲みながらぼーーーーっとすること。

手帳をぽーーっと見ながら
今月の予定を確認したり、
あれしたいこれしたい、と思いをめぐらせたり、
ひたすらぼーーーーーっと。

ちょうど、仕事の合間にカフェでぼーーーっと
してるような感じ。
脳みそが休まるし、
思考が深まるし、
心もゆったりして、
すごく安定する。

働いていた時と違って、それほど時間に追われて
生活しているわけではないけれど、
「何もしない時間」
を意図的に作ることで、結構救われてるかも。


2012年10月10日水曜日

お昼寝時間の活用法


ベビがお昼寝に入ると、
なぜか、そわそわ。

この間にいろいろしなきゃー、とか、
ええと何からしようか、とか
意味もなく焦ってみたり。

30分ほどで起きるかな、と思っていたら
2時間も寝られて、
ああ、こんなに寝るんなら、
もっと時間のかかるあれやっときゃ良かった
と、負けた気分になったり。

そんなにやりたいことが溜まってるわけではないのだけど、
ベビ相手しつつの細切れじゃなくて、
じっくりゆっくり取り組みたいこともそれなりにあって。

家事なんかは、中断されて細切れになっても
一向に構わないので、
わりと起きてるときにやることが多いのだけど。

どうしても、ゆっくりPCに向き合えるのは
眠ってるとき。

ベビが就寝した夜20時くらいからは、
ほぉっと一息ついて、お茶飲んで、
自分の好きなことできるゴールデンタイムなんだけど、
やはり一日の終わりは疲れも溜まってて、
あまり頭使うことや難しいことはしたくないので、
ぼーーーっとネットサーフィンしてるうちに
すぐ眠くなってしまう。

だから、お昼間の、まだ元気があるときに、
2〜3時間自由に使えるのってとっても貴重。
こうしてブログ書いたり、
ベビの成長フォト日記書いたり、
溜まったメール処理したり。

次にお昼寝まとまってしてくれたら
これしようリスト、とか作っておきたくなるくらい
大切に大切に使いたい時間。

でも、せっかくぽかっと空いたお昼間の時間を、
PC作業なんかに使っちゃうなんて、もったいないなぁ、
という気分もないではなく。

ヨガでもやった方が良いんじゃないか、とか
勉強する時間に充てたら良いじゃないか、とか
集中して本を読んだり、お金になる仕事したり、
何か生産的な活動をすべきなんじゃないか、って。

結局何をやってたって、
「あれ、今やること、これでいいのかな」
という疑問がついて回る。

自分が今、何を一番やりたいのか、
良くわからなくなってる、新米ママ5ヶ月目。


子育ても大切だけど、
自分の人生もちゃんと考えなくちゃ。


2012年9月21日金曜日

家族至上主義。

今まで、家族を何よりも優先するなんて、
意識したことほとんどなかった。

小さい頃も、うちの家は
「父親の言うこと絶対!」な亭主関白家族だったので、
家族皆で楽しむことよりも、
父親を怒らさないことにばかり、意識が向いていたような。

家族はただの居場所であって、
家族を楽しむ、みたいな感覚はなかったな。

そのうち友達と楽しむことが多くなり、
大学生になって家を出てから結婚するまで、
いや、結婚してからも子どもを産むまで、
家族よりも外のつながり(友人・同僚・恋人)ばかり
優先させてきた。

もちろん自分が帰る場所、としての家族は大切
なんだけれど、楽しむ場所、にはなってなかった。


それがそれが、
子どもを持って改めて自分の家族ができると、
この家族でどれだけ時間を共有するか、
どんな楽しい思い出を作ろうか、そればかり考える。

パパにだって、できるだけ早く仕事から帰って欲しいし、
休日は家族で楽しいことしたいし、
子どもと過ごす時間を、何よりも優先して欲しいと思う。

「家族至上主義。」


西洋では当たり前の考え方でも、
まだまだ日本では、いや私にも、馴染みのない習慣。

仕事も、趣味も、一人でショッピングも、
友達との飲み会や旅行も大好きだけど、
これからは家族を1番に、それ以外は2番以下において

私の家族を楽しもう。

2012年9月8日土曜日

持たない暮らし

ちょっと前に、断捨離って流行ったけど
私は捨てることが、大好き。

いや、正確に言うと、
持ち物を整理することが、大好き。

オフィスのデスク周りも、
キャビネや引き出しの中はスカスカで、
いつ辞めても良いように(というのは冗談だけど)
荷物は最小限。

新人の頃書類を地層にしたせいで
大きなミスを犯したことがあるので、
それ以来、書類は溜め込まない。
ある程度時間経過したら、バンバン捨てる。

チームミーティングの進捗報告の書類まで
いちいちファイリングしているマネージャーの気持ちが
良くわからない。
日々動いてるんだから、
1週間前の書類は既に過去の物ですよ?


それでも、家というのは、
どんどん、どんどん、モノが増えてしまって大変。
生きてく限り、ゴミって増えてくんだろうな。

数ヶ月単位で
モノを整理したくなる周期がやってきて、
着ていない洋服や、古くなったタオル、
溜まった本やマンガや雑誌、使ってない食器、
その他雑貨やら靴やらを、ドバッと処分する。

すごくエネルギーも時間も体力も使うし、
実は結構頭も使う。
「これはいるかな?まだ使うかな?」
と即座に判断しなきゃだし、
処分するにしたって、売るか、捨てるか、あげるか、
いろいろ方法があって、いちいち選択しなきゃだし。

それでも、大量にモノを処分すると、
その分だけ、心と体が軽くなる。
気分さっぱり、身軽になって、
生活に対して、すごく前向きな気分になったり。

どうしてかな。

今の自分に必要な物にだけ囲まれてる、ってことが
心地よいのかな。無駄がない気がして。

しかし、何度やっても、数ヶ月後には、
「あれ?ここの引き出しって何入ってるんだっけ?
あーー、こんなの持ってたなぁ」
ってモノが出てくる。
そうやって、記憶から外れてる時点で、
もう既に要らない物なのに。

私は、何がどこにあるのか分からなくなる、って事態が
すごく嫌いで、家の中にあるものは全て把握しておきたい。
自分の知らない物が家の中にあるって、
ちょっと想像できないし、なんだか気持ち悪い。

でも、結婚すると
なかなかこれが難しくて、
特にダンナ様がモノを片付けられない&捨てられない人
だったりするので。
その上、お買い物大好きっ子だったりもして。
かなりのストレス。

人の物を勝手に捨てる訳にもいかないので、
何度も何度も何度も何度も背中を押して、
やっと少しずつ整理されてきてはいるけれど。

家の物を整理するのに
一番手早いのは引っ越しなんだけど。
それなりにお金もかかるので、頻繁にする訳にいかないし。

「片付けなんかに時間使うの、もったいない」
って、ダンナ様は言うけど、
「人生は片付けながら進まないと、埋もれちゃうよ?」
って思うんです。

モノが多い家がイヤ。
もっと、シンプルに、スッキリと暮らしたいなぁ。



2012年8月25日土曜日

幸福って

とある育児書を読んでいたらでてきたフレーズ。

「人と豊かに交わりながら生きることが、人間にとっての幸福」
「人間の幸福って、人を幸福にしながら生きること」

------------------------------------
子どもに願うことは、
「幸せな人生を送って欲しい」ということ。

でも、幸せって何??
とちょっと哲学的なことを考えてみる。

自分の好きなことに没頭すること?
大好きな人に囲まれて仲良く暮らすこと?
一生懸命何かを成し遂げること?

何だろう?
どれも、私にとっては幸せの定義だけど、
子どもにとっても同じことが幸せなのかな。


育児書で上のフレーズを読んで、
本当にその通りだな、と思った。

私は自分が大好きで、
いつも自分のことで頭がいっぱいで、
自分で自分を幸せにすることばかりを
考えて生きてきたけれど、

「自分が大好きな人が幸せそうにしていることが、
自分の幸せだよ」

と昔好きだった人に言われたことを思い出した。

その時は分かるようで分からなかったけど、
今はものすごく分かる。笑
ちょっとは大人になりました。


もう一つ気になったフレーズは、
「勉強も自分のためでなく、
将来人を幸せにするためにやるもの」

そうですね。
自分のためだけにやっていると、
いつか限界が来る。
人のためにと思うと、努力も無限。

でもそう気づけたのは、私は最近だなぁ。


いろんな人と関わりながら、
いろんな人を幸せにしながら、
いろんな人に幸せにしてもらいながら、
豊かな人生を生きていって欲しい。


母は願ってます。
そして、母より長生きしてね。





2012年8月22日水曜日

30分サイクル

前の会社のGMが、
「ミーティングは30分単位で入れれば良い。
1時間も確保しなくても、30分刻みで、
パパッと話して、さっと切り上げれば良い。
何で皆、1時間とるのかな。」
と言ってたことがあった。

30分の為にわざわざ集まって頂くのも、
30分だけ話して解散してしまうのも、
何だかもったいないような気がしていた。

けれど、
30分毎にいろいろ回していければ、
1時間ごとに動くよりも倍のことができる。

ちゃんと集中して使えば、
30分って結構沢山のことができるほど長い。


今、赤ちゃん持ち主婦になって、
この「30分サイクル」生活を実践してみてる。

お風呂も30分
お散歩も30分
お料理も30分
お昼寝も30分
食事もお茶も30分
リラックスタイムも30分
PCチェックも30分。

とりあえず、なんでも、30分で一旦区切る。

はみでちゃう時もあるけど、
時計を意識しながら動いてると、
だんだんと時間内に処理できるようになってくる。

幸い、ベビーも30分毎に相手してれば
ご機嫌だし。
ちょうど良いチェッカーになってくれてる。

たらたら同じことを続けることがなくなって、
なんだかとても良いリズム。
作業はパパッとスピーディーに、
休む時は、きちんと休んで。

主婦にも、時間割あるほうが安心する。




2012年7月26日木曜日

繰り返し

繰り返し。だなぁ毎日。
同じことを、何度も何度も何日も何日も。
ただひたすら。

仕事してる時だって、
朝起きていそいそと会社行って、
帰って来てご飯つくってお風呂入って
少しだけくつろいで寝る、
の繰り返しだったけど。

それはそれで、退屈きわまりない、
ただ時間を消費してるだけのつまらない毎日だったけど。
(特に育休直前の仕事がね。。)


育児生活ってのも、負けず劣らず、繰り返し。

朝6時前に起こされて、授乳して、
顔&身体拭いて、着替えさせて、オムツ変えて。
自分の身支度して、グリーンスムージー飲んで
授乳して、ベビの相手して
洗濯して、掃除して(ルンバが)、朝ご飯食べて
授乳して、散歩へGo.
ここまでで、大体9時。

10時までには散歩を終えて(暑いのでね)、
授乳して、ベビの相手してたらお昼。

授乳して、お昼ご飯食べて、お昼寝して。
授乳して、ベビの相手して、
洗濯物取り込んで、夕食作ってたら夕方。
授乳して、お風呂入って、
ベビーマッサージして、寝かしつけ。
すでにこの段階で19時。

夕食食べて、ネット見たり細々してたら
あっという間に22時。就寝。
(夜中も12時と4時に授乳。。)

ベビがちょこっと寝てる間に、
本読んだりネット見たりできるけど、
大抵30分くらいで起きてくるから、
落ち着かないし。

まぁ、そんなにやりたいことがあるわけじゃないから
ゆったりベビの顔見て、あやして、遊んで
一日が過ぎるのも、贅沢でいいじゃないか、
とも思うけど。

さすがに3ヶ月続けたら、飽きて来たし。
飽きっぽいなぁ、私。

でも、学生の頃も、学校行って帰って来て、
習い事行ってご飯食べて宿題して寝る、
の繰り返しだったような。

人生なんて、大半が繰り返しでできてる。
その繰り返しの中で、少しずつ少しずつ
前進してたり、変化があったり、幸せがあったり。
そんな毎日毎日刺激的なことが起こるわけじゃないけど。

毎日同じことが安心できる人と、
毎日変化がないと安心できない人。
私は後者だな。


とはいえ、
毎日平和で笑っていられることに感謝して、
ぶーぶー言うのはやめなくちゃ。






2012年7月19日木曜日

初めてのこと。

何かを初めてやるとき、
すごくワクワクして、ドキドキする。
その緊張感がたまらなく好き。

どうしよう、うまくできるかな、
どんな感覚なんだろう、どんな気持ちがするんだろう、
と想像だけが果てしない。

出産育児は、その最たる物で、
陣痛ってどのくらい痛いんだろう、
赤ちゃんってどうやって抱っこするんだろう、
夜泣きってどのくらい辛いんだろう、
おっぱいあげるって、どんな感覚なんだろう、、、

もう、次から次へと知らないことが降って沸いてきて。
それを一つ一つクリアして、慣れて、余裕ができてくるまでの
過程が、いつもとても楽しい。

例えば、
新しい職場に配置換えになったときや、
新しい習い事のレッスンに参加したとき、
新しい土地に住み始めたとき。
いろいろ。
初めての体験が、日常の生活に変わるまでの
紆余曲折、試行錯誤が、とても楽しくて好き。

母親業なんて、太古の昔から大勢の女性が
繰り返しやって来ていることだけれど、
私にとっては初めてのことで、どれもおっかなびっくり。
おっぱいが、こんなにはるものだって知らなかったし、
赤ちゃんの吸引力がこんなに力強いなんて想像できなかったし、
抱っこしすぎて手首が痛くなるなんて思わなかったし、
体験して初めて、ストンと腑に落ちる。

母親って偉大だな、って。

この世の全ての人たちが、母親と呼べる人から生まれでて来て、
一人では何もできない状態のときに、母親(もしくはそれに代わる人)
の手助けを経て、今日こうして生きていられてる。

母親って素晴らしい。


なんだか、テーマがずれて来てしまったけど、
初めて母親になって、
初めての体験にドキドキしていた日々が、
育児生活に「慣れ」始めることで、
単調な毎日に思えるようになってしまい、
ちょっと戸惑っている今日この頃。

初心忘るるべからず。




2012年7月18日水曜日

母親休業

週末1泊2日で軽井沢に行って来た。
新卒入社の会社の同期男女6人と別荘に集まり、
温泉行って、ステーキ食べて、飲んで語らう、
毎夏恒例の行事。

皆少しずつ家族が増えて、今年は
5歳女児・4歳女児・3歳男児・6ヶ月女児
の子ども達も参加。
子ども達にも特別感が伝わるのか、
にこにこにこにことはしゃいでて、本当に可愛い。

さすがに私は2ヶ月の赤ちゃんを連れて
片道4時間の旅をする訳にもいかず、単身参加。
留守はダンナに任せて、出産以来初の息抜き。

コレが予想外に楽しかった。
毎日赤ちゃんと二人きりで、会話レス生活だったからか、
皆の近況報告でおしゃべりするだけでも楽しいし、
それぞれの家族の形を見ていると、
私も自分の家族を持ったんだなぁ、と
改めて感じたり考えたりして、楽しかった。

私も、自分の子どもをちゃんと可愛がろう、って
育児へのモチベーションも高まったし。

産休前に、
「子どもをダンナに見てもらってショッピング行っても、
結局気になってゆっくり買い物できず、早々に帰ってしまう」
とおっしゃるお母さんがいて、
そんなものかな、と思っていたけれど、
全然「気にならず」、「ゆっくり」しまくりました。(スミマセン)

ダンナは、昼夜問わず2時間おきのミルクと抱っこで、
瀕死状態でしたが。
「ほんと、育児って大変なんだね」と言っていたので、
今後も優しい対応が期待できそう。

子どもはとっても可愛いけれど、
子どもがいるからって、自分の楽しみを犠牲にすることはないし、
可能な限り、お互いに楽しく過ごして行けたら、と思う。
母親の自分から、個人の自分へ、気持ちを切り替えれば、
両方の人生を楽しめる。

「母親なんだから、自分のことは我慢すべき」
なんて考えの人とは、合わないな。

子どもは親を幸せな気持ちにしてくれる存在であって、
親を犠牲にする存在ではないはず。

と、まだまだ自分中心な新米ママです。





2012年7月9日月曜日

家族って

2ヶ月の息子を連れて、91歳のおばあちゃんに会いに行った。
弟夫婦も5ヶ月になる男児を連れて来ていたので、
お正月でもないのに、大家族が大集合。

月日が流れると、
命も受け継がれる。
順番、順番。

ごく当たり前のことなんだけど、
すごく幸せなことなんだなぁ、
と改めて実感。

おばあちゃんと、お母さんと、私と、息子。
それぞれ少しずつ重なりながら、
違う時代を生きて行く。

おばあちゃんと息子の命が
重なってくれて良かったな、と思う。
きっと息子は、ひいおばあちゃんに会ったことなんて
覚えていないに違いないんだけど、
私はおばあちゃんに会わせてあげられて、
なんだかとても幸せだった。

おばあちゃんも嬉しそうで、
細っこい腕で一生懸命抱っこしてくれて、
命のふれあいって、いいなと思った。


子どもを持って良かったな、と心から思った
七夕の夜。
(関係ないけど)

2012年6月25日月曜日

母の自覚

母になって52日目。
母親の自覚、正直あまりありません。

「小さな赤ちゃんをおいて〇〇するなんて、
母親の自覚足りないんじゃないの?」
なんて言葉を聞くこともありますが、
(私に直接向けられた言葉ではないですけど)
そんなね、簡単に自覚なんて、芽生えませんから。

でも、そんな私でも日々、「あ、私母親なんだ」
と自覚する瞬間があるのです。
それは、自分で自分を「ママ」と呼ぶとき。

「じゃ、ママお風呂入ってくるから待っててねー」
「ママもお腹すいたから、何か食べよ」
「ママまだ眠いよー。もうちょっと寝ててよー」
(もちろん全部返事のこないひとり言)

赤ちゃんに向かって、半ば無意識に、自分を「ママ」と表現する。
この際、「ママ」が良いか「お母さん」が良いかという
問題は置いておいて。

こうやって自分を「ママ」と呼びながら、
私は私自身に「ママ」という役割を担わせていくんだなぁ
と思う。

ちょうど、結婚したての頃、自己紹介で
「◯◯の妻です」という時に、
「そうか〜、私、妻なんだ〜」と意識したのと同じように。

女性には、たくさんのアイデンティティがあって、
自分自身の「私」と、「妻」と「嫁」と「母」と「主婦」と。
それぞれにおいて、その役割に見合うような自分であろうとする。
普段おおらかでも、母になった途端神経質だったり。
嫁の時は姑を気にしてきちんとしてても、家庭の主婦の時はずぼらだったり。
いろいろ使い分け。たぶんほとんど無意識に。

ただ私はすっごく、「私」の部分が強くて、
なかなか「母」や「妻」を優先できずにいる。
ワガママ娘ですみません。

少しずつ少しずつ、良き「母」になれるように頑張るね。
と、愛しい我が子の寝顔を見ながら思ってみる。




2012年1月10日火曜日

2012年は健康から


謹賀新年

あけましておめでとうございます。


2012年、今年こそはもう少し頻度UPを目指すので、
どうぞ宜しくお願いします。


毎年この時期には、今年の抱負やら、やりたいことやら、
何かしら手帳に書き留めたりするのだけれど、
今年はなぜかそんな気分になれず・・・


のんびりゆったりモードで
新年に張り切る気持ちが涌いてこない、2012年のスタート。


思い当たる理由は一つで、
体調が“100%元気”ではないこと。
間違いなく、新しく張り切ろうとする気持ちのブレーキになってる。


やっぱり、体が元気じゃないと、心も元気になれなくて、
内なるエネルギーを生み出していくこともできないんだなぁ、と実感。
新しいことを始めてみようと思ったり、チャレンジ目標を設定したり、
日々の習慣を決めたりするには、
それなりにエネルギーが必要で。


というわけで、今年の目標第一は、
・健康であること


にしようかな。




あらたまって書いてみると、すごくフツーなんだけど。


2011年は体調不良が続き、なんと1年の8割も安静休養が必要で、
気付いたら脳ミソも筋肉も全く使わず、やりたいことも何にもできず、
ただ時間を消費するだけの生活になってしまったので、
2012年は少し挽回しなくては。


栄養バランスに気を配った「手料理」生活して、
「冷えとり靴下重ね履き」生活続けて、
体調良くなったら「ヨガ」再開して筋力&体型維持して、
「早寝早起き」規則正しい生活して、、、


活き活きと健やかに、
元気いっぱいな毎日を送れるよう頑張ります☆



2011年9月19日月曜日

90年の命

敬老の日であります。

今年はおばあちゃんの家に、
お母さんと二人で遊びに行って、
お泊まり女子会を開催した。

おはぎを手作りしたり、
マッサージをしてあげたり、
昔のラブロマンスを聞かせてもらったり。

おばあちゃんは90歳だけれど
一人暮らしをしていて、
寝たきりにもならず、認知症にもならず、
尿漏れパッドのお世話にもならず、
身の回りのことは全て自分でこなしている。

ご近所の人が
夕飯のお裾分けを持って来て下さったり、
ゴミ出しを手伝って下さったり、
すごく暖かいコミュニティの中で暮らしている。
田舎って、すばらしい。

「赤の他人が、こんなおばあさんに親切にしてくれるなんて、
感謝せんといけん」
と口癖のように言っているが、
おばあちゃんのお人柄の良さと人徳の賜物だとも思う。

おばあちゃんは、
一日一日をきちんと暮らしている。

朝起きて、服を着替えて、髪を整えて。
食事をして、家事をして、
新聞を読んで、TVを見て、
お風呂に入って、きちんと戸締まりをして
消灯を確かめてから、ゆっくり休む。

家の中を歩くとき、転ばないように、
つまづきそうなコードはきちんと片付けて、
ゆっくりゆっくり気をつけて、
痛む腰や膝をかばいながら、それでも自分の力で動く。
人のお世話にならないように、
人に迷惑かけないように、
毎日心がけながら生きている。

私はおばあちゃんが、大好きだ。



今回はお泊まりで時間がたっぷりあったので
たくさんたくさん、話をした。

昔の冷蔵庫は氷で冷やしていたとか、
初めて見たテレビは縦長だったとか、
アイロンは炭を乗せる火乗せだったから
初めて電気アイロンを使った時は便利さに感動したとか。

お風呂は薪を燃やして沸かさないとお湯なんて出なかったとか、
醤油はカメに入っていたが、ビン入りが出回るようになって
すごく便利になったとか、
お味噌は手作りが当たり前だったとか。

流行っていた髪型(テツカブト)はどんなだったか、
おじいちゃんとは写真で結婚式したとか、
敗戦後北京から帰国する時どれだけ恐ろしかったか、
などなど

生きた昭和の話を聞いた。


今とは違う世界。
でも、今に続く世界。

今では当たり前になっていることが、
昔はすごくありがたがられたことで、
私たちはいつの間にか、便利さのありがたみを
忘れてしまっている。

90年も生きたおばあちゃんの目には、
時代の移り変わりと、
昔の良さと今の良さと、
そのすべてが映っている。

昔は良かったと思えることと、
今は良い時代になったと思えること。

その両方が存在していて、
1世紀近くも生きるということの重みを感じる。

「私の人生は何だったんだろう?」
と、おばあちゃんは言っていた。
「子育ててバタバタしていた頃が、
一番幸せだったかもしれない」とも。

私はそのとき、どんなふうに思うのだろうか。
きっと同じように、
「私の人生って何だったんだろう?」
と思いそうな気がする。

でもそれで良いと思う。
意味なんてなくても、自分の人生のすべてを受け入れて、
生まれて来て良かったと思って、
次世代にバトンタッチしたい。


やがてくる人生の終焉を、心穏やかに待ちながら、
おばあちゃんは今日もきちんと生活している。



2011年9月4日日曜日

ロングバケーション


真夏に8週間の休暇を頂いた。 

自分の好きなことを好きなだけできる、自由な時間。 
人生において、これほど贅沢な贈り物はないと思う。

好きなことだけをして過ごし、 
今まで後回しにしていたことに手をつけ、 
たっぷりと物思いに耽り、 
それでもなお、余りある時間。

どう使うか。 
どう使おうか。 
どう使えるか。

いざとなると、これが結構難しくて、 
ゆっくり気ままにごろごろと過ごしていたのは初めの1週間くらいで、 
そこから後は、残りをどう使うかスケジューリングして、 
したいことをリストアップして、一つずつ潰していって、と 
まるで仕事のような仕切り方をしてしまった。笑

旅行も行きたいし、 
掃除・片付け・断捨離もしたいし、 
病院・美容院・歯医者も行きたいし、 
東京にも遊びに行きたいし、 
キャンプしたいし、海行きたいし、花火も見たいし、 
本も読みたい。

でもどれも普段の生活で週末や空いた時間にやってることだし、 
特別にやりたいことって大してないんだな、と気付く。 

せっかくのお休みなんだから、もっと特別なことに使わなきゃ 
と焦るのだけど、特別なことって何?とさっぱり分からないし。

で結局何をしたかって、 
日が昇れば起きて、日が沈むと寝て、 
掃除して洗濯して料理して、という生活の基本をひたすら繰り返す 
シンプルな暮らし。 

ああ、人間ってこんなもんなんだ。 
と妙にさっぱりした気持ちになった。

この基本の上に、自分が必要とすることだけ、 
自分の好きな優先順位で、乗せていった。

インプットの欲求、安らぎの欲求、ワクワクの欲求、 
役に立ちたい欲求、必要とされたい欲求、 
愛されたい欲求、繋がりたい欲求、、、 

これらを満たしてくれる営みに時間を使って、 
特別なことなんて何もしなかった。 
ただ欲求に忠実に、やりたいことだけやってみた。

家族との時間を作って、友達に会って、 
沢山本を読んで、旅に出て、歴史に触れて、自然に触れて、 
美味しいものを食べて、美しいものを見て、美しい音楽を聞いて、 
スポーツに興奮して、楽しい会話で盛り上がって、 
楽しい時間を大好きな人と共有する。


そんなフツーのことが、十分幸せだった。


こんな贅沢な時間をくれた会社に感謝。

エネルギーチャージできたので、
ぼちぼちブログも更新していこう。


2011年3月9日水曜日

頭の体操 SUDOKU

どこから聞いてきたのか不明なのだけれど、 
もう随分と前から母親がはまっている。 
漢字で書くと「数独」。

いっときブームが来て、本屋さんやコンビニの店頭にも 
並んでいたので、きっとポピュラーなもののはず。 
私の周りでは母親以外、やっている人を知らないのだけど。

数字を使ったパズルゲームの一種で、 
日本のパズル雑誌に端を発し、 
2005年頃から世界ブームにまでなったそう。

母親は旅行の際、移動中の暇つぶしに、と 
1SUDOKUの本を持参する。 

先日はバルト三国への旅行のとき、 
フィンエアーのゲームアプリにSUDOKUを発見して 
すごく興奮し、英語の画面指示と格闘しながらも 
ひとり黙々と楽しんでいた。

大の大人が夢中になって何かをやっている姿 
というのは、見ていてとてもほほ笑ましい。

で、そのSUDOKUがどうしたかというと、 
なんと先日、90歳になる祖母がやっていた!!! 

「頭の体操になるから、ボケ防止に」と、 
母親が持ちこんだらしいが、、、

祖母に聞くと、 
解いていると頭をものすごく使うので、疲れて眠くなるのだそう。 
でもそこで寝てしまうのではなく、 
「この頭は、こんなものも分からんのか!」と 
腹立たしく思い、また頑張って解こうとするのだとか。

「面倒くさいからいいや、もう」とか 
「もう頭使うのやだーーー」とか、 
私はすぐ思ってしまうのだけれど、 
誰に強制される訳でもないのに、 
別に解けたからといって何になる訳でもないのに 
黙々とひとりで頑張る祖母。 

なんか、すごい。

率直に、そういう“素の欲求”って、いいな 
と思ってしまった。 
求められるからやる、のではなく、 
やりたいからやる、というのが。 
投げやりにならず、自分に要求していく姿勢が。

「こんなこともできないなんて許せない」
と、
自分に期待する気持ちを 
忘れないでいたいと思った。


2011年3月6日日曜日

趣味友

ベリーダンス生活のブログを新しくオープンした。

理由は、
ベリー仲間がつながっているのがアメブロだったことと、
趣味の話題は普通のブログに記載するには、
少々マニアックすぎるかな、と思ったこと。

なのでこっちのブログでは、ベリーダンスとはいえ、
世間共通の話題にからめられる内容にしぼっていく予定。
でも、ベリーの世界にご興味ある方は、是非一度
のぞいてみてくださいね。

☆ベリーダンスブログはこちら→「ベリーダンス☆パラダイス」


で。本題。

土曜日、ベリーダンスのお友達をご招待して、
我が家で鍋Partyを開催した。

神戸でできた数少ないお友達。
ベリーダンスという趣味でつながったお友達で、
それぞれの日常生活も、普段の交友関係も、
育ってきた環境も、年齢も、バックグラウンドは皆バラバラ。

お洋服のデザイナー、
保健室の先生、
美容師、
銀行員、
他業種・他業界の会社員、、、
などなど、普段の生活ではなかなか出会えない
人ばかりで、
共通の趣味がなかったらきっと、
人生が交わることもなかったんだろうなぁ、と
趣味友のおもしろさを感じる。


社会に出てある程度過ぎてくると、
新しく友達になる機会は段々と減っていく。

職場の友達、学校の友達、バイトの友達のように、
過去は、所属環境が新しくなると自然とその中で気の合う子を探して
お友達になれていた。
でも社会に出ると、所属環境が新しくなることが少なくなるから、
当然新しいお友達、というのも少なくなってくる。

その代わりに増えてくるのが、趣味友じゃないかな。
ゴルフ仲間、
スノボ仲間、
キャンプ仲間、
陶芸仲間、
ヨガ仲間、
山登り仲間、、、みたいに。


共通の趣味があれば、共通の話題があるので、
自然につるめるようにも思えるけれど、
でも、趣味が同じであっても、必ずしも気が合う訳ではなく、
価値観や、話の盛り上がりや、性格が噛み合ないことも多々あって。

でも、趣味友は環境友と違って、必ずしもぴったり価値観・性格が
合う必要はなくて、合わない部分には上手く目をつぶりつつ、
共通のところだけでつながれる、という適度な距離感と気軽さがある。
共通の部分を持っているからこそ、お互いの違いの部分を
認め合えるというか。

今回集まってくれたベリー仲間はそんな趣味友。
みんな本当にとってもいい子達で、こんな仲間に巡り会えて、
ベリーダンスを始めて良かった!と思う。


ベリーダンスを始めたからこの仲間に巡り会えて、
この仲間に巡り会えたからベリーダンスを楽しめている。

趣味友の存在は、人生を豊かにするのに
とても大切な存在かもしれない。

2011年2月23日水曜日

がんばっていこう

「頑張ってきた人は、これからも頑張り続けるしかないんだよ」


前の会社を辞めると言ったとき、当時のマネージャーに言われた。
(そのマネージャーは私と1コしか違わない京大卒女性で
 スーパー仕事のできる人だった)

その時は、なんてひどいことを言うんだろう? 
今まで頑張ってきたんだから、もうゆっくりしてもいいじゃん。。 
とショックを受けたので印象深く覚えている。 

ところが最近、この言葉の意味が身にしみるようになった。

人間疲れることも、心が弱ることももちろんあって、 
そんな時は休息することが大切だとは思う。
でも、「頑張る」心を閉ざして自分の成長を諦めてしまうと、 
人としての活力が失われ、 
ただ時間を消費するだけの人生になってしまう。

自分のできる範囲で、 自分のできることだけを着実にこなす。 
無理せず、しんどい思いもせず、ストレスもない。 
そんな風に楽に生きてみるのも良いかなぁと思ったのだけれど、、、 
ダメだった。

なぜだか、がんばりたくなってしまう。

少し高い目標を立ててみたり、難しいことにチャレンジしたくなったり、 
未知なる領域に足を踏み入れてみたくなったり。 
誰に強制されるわけでもないのに。

きっと、成長したい、昨日より今日は一歩前進したい 
と思う心は、人の本質に宿る欲求なんだろう。 
なんだかんだと言い訳をつくって楽するのではなく、 
少しでもその欲求に忠実でいたいと思う。

仕事でももっとチャレンジしたいし、 
ベリーももっと上手になりたい。 
思考力・分析力・表現力をもっと深めたいし 
自分の限界と常に戦っていたい。

できなかったことができるようになるのは、嬉しい。 
しんどくてもしんどくても、壁を乗り越えたときの達成感はすがすがしい。 
その喜びを忘れてしまわないように、 
きちんと、誠実にがんばっていこう。


自分で自分を褒めてあげられるように。